何も考えずに、喜んでいたけれど
私が暮らす県では緊急事態宣言が解除されています。解除されて初めての週末、県内の隣町のお店に行ったら、想像以上の人の数に一瞬、たじろいだ私です。ここ数週間、会社に行くか、さもなければ畑に行く暮らし。言ってみれば、人口密度の低さに慣れていたので、久々の人ごみが怖い…。こんな感覚、初めてでした。
さて。週末、晴れ渡る青空に促されて、畑に収穫に行きました。ジャンッ!!こんな感じ。
このあと、「スーパーに野菜を買いに行く」予定を自分の中でキャンセルしました。なんて言ってますが、2種類のレタスはいただきものです。畑の先輩にいただきました。
それにしても、なんて立派なレタスでしょう。最近、季節がよくなって、食べものの嗜好が変わってきたことを実感している私です。そうなのです。最近は、サラダを食べたいモード全開です。そんなわけで、レタスをいただくのはこの上ない喜びです。ありがたや…。
さて、自称「もらいもの上手」と思っている私です。でも、物欲しそうな目をしていたとか、はたまた、「ください!!」なんて、催促はしておりません。でも、畑に行く度に、野菜や野菜の苗を頂くことが多いのです。
それどころか今思えばこの日、私が畑に到着したことを確認した先輩は確かに、そそとレタスを収穫し、水洗いして、私にくれたのです。
これって、どういうことか…。これまで、いただく野菜は拒まず、な私でしたが、その意味を深く考えたことがありませんでした。
まず言えることは、私が「畑のマドンナ・うら若き乙女ちゃん」で、畑の先輩は何かしらの意図を持ってプレゼント攻撃をしているわけではない、ということ。これは疑う余地なし、説明の必要もないところです。
畑の先輩たちは、いわゆるリタイヤされたおじさま方です。想像するに、娘や息子はとっくに独立し、奥様と二人で暮らす生活。お互い、食は細くなり、おうちでいただく野菜の量も知れているでしょう。もしかしたら、奥さんからは、「(そんなに沢山の野菜)食べきれないですよ」とまで言われているかもしれません。
なのに、腕がいいから作る野菜は売れるほどの質と量。とはいえ、せっかく育ったものを食べきれないからと、捨てるには忍びない。ならば、誰かに食べてもらえれば嬉しい。
とはいえ、周りを見渡せば、同年代の人たちばかり。そして皆が皆、同じ状況。野菜は自分で作っているから、もらう必要のない人ばかり。
そこへ現れた若輩者の私。畑仕事は見るからにへたくそ。収穫量もまだまだ知れている。食べ盛りの成長期はとうに過ぎているとはいえ、畑仕事を楽しむくらいだから食いしん坊に違いない、と目星をつけられた。
実際、野菜をあげればいつでも喜ぶ私。ならば、食べきれない分をお裾分けしよう、という流れ。どうりで、私が自分の畑のささやかな実りを差し出して、お返ししようとしても受け取っていただけないわけです。
そして、はたと気づいたのです。それって、私が野菜作りが下手っぴ、ってことなんだ…と。そのことに今さらながら気づいても、落胆も憤慨もしません。なぜって、異議なしですから。
というわけで、私はこの先も畑の先輩からの頂き物を有難くいただく所存であります。
その晩、いただいた新鮮なレタスで山盛りのサラダを楽しみました。畑の先輩、御馳走様でした!!