以前の私
以前の私は、気になる植物を見ると心躍って、見境なく手に入れていました。また、引っ越しを機に、相当量の鉢数を減らしたにも関わらず、それをあっという間に挽回している始末。
もうね、これは植物好きの性(さが)ですから、仕方のないこと。今のところ、植物で貯金を取り崩すほどの散財をしているわけでもないし、言ってみれば可愛い趣味じゃぁないですか。
そう自分に言い訳していました。こうやって植物や鉢の数が増えることは、植物好きである証だと信じている節があったし、そんな植物好きな自分に満足しているところまであったわけです。
最近の私
それが、最近の私は「もう少し、植物の数を減らそうかな」なんて思うようになっているのです。世の中の植物好きさんが世話をする鉢数に比べたら、到底まだまだ、肩を並べられるような数には至っていないというのに。
そんな状況に、「パワーダウンしたか??私。」と、ちょっと気にしてみたりもしました。でも、やっぱりこれが、今の気分なのです。
この先の私
言い換えれば、「今ある植物たちをじっくり手入れして、世話してやればいいんじゃないかな。」そう考えるようになったのです。数を増やすことに力を注いでいた気持ちをちょっと落ち着けて、今ある植物たちを眺めてみる。すると、やれることはまだ沢山あるなぁと気付いたのです。
よくよく見れば、使っていない鉢も沢山転がっているし、枯れた葉先をくっつけたままの植物もいます。鉢と植物との組み合わせを見直してみたり、個々の育てかたをもっと調べてみるのもいいかもしれない。株分けで増やすとか、種や胞子を取って増やしてみるとか、とことん大きく育ててみるとか…。
手間をかけるということ
ところで、買い物に行ってイオンラウンジで休憩していた時に、雑誌 趣味の園芸(NHKテキスト)を眺めていました。その中に、「盆栽は10年、20年費やして、やっと仕上げる」なんて記事を見つけて、たまげている私です。
はたまた、「サンセベリアを15年育てて、高さ180cm(!!)になりました。」なんて画像に、釘づけになっている私です。
盆栽があれほどに威厳と風格があって美しいのは、時間をかけて育て上げているからなのですね。年月が凝縮されているというか。
目の前の植物をじっくり見てあげる。それは未来の形をイメージし、どの枝を剪定してあげようかと吟味して選択する時間。手間をかけるということは、時間をかけることでもあります。
そんなふうに「手間をかけてあげること」。それが、私と植物との関係で、もっと濃厚になってもいいのではないかな?そんなふうに思うようになったこの頃です。
これってやっぱり、歳をとった、歳を重ねてきた、ってことでしょうか。(あらま…)とりあえず、植物の愛で方、植物好きの道はいろいろってことで、今日の話は〆ときます。